日本キェルケゴール研究センター・ホームページ
(Søren Kierkegaard Research Centre in Japan)


  2013年・キェルケゴール生誕200年記念企画・ホームページ

生誕200周年を迎えて

2013年記念プログラム

研究センター規約(抄)


研究センター設立趣意


出版刊行物


センター通信/通巻目次


国際カンファレンス


お問い合わせ


リンク

キェルケゴールかキルケゴールか


トップページ

セーレン・キェルケゴール
(Søren Kierkegaard, 1813-1855)
生誕後200年を迎えて

 2013年5月5日は、デンマークの思想家セーレン・キェルケゴール生誕後200年となります。これを覚えて本国デンマークをはじめ各国で、記念のプログラムが企画されております。
  キェルケゴールは、童話作家アンデルセンとほぼ同時代を生き、そろって「デンマーク黄金時代」を飾る天才たちの一人で、その重たい人生を最後まで誠実に生 き抜き、人生の真理とは何かを問い、ただ一度生きる人生の大切な意義を教えました。また、個々の人間のもつ、たった一つの尊さを語り、それが今日のデン マークで見られる先進的な社会福祉を支える理念の一つを形成しているとも、言われます。
 第一次世界大戦後、西欧精神史で「キェルケゴール・ルネサンス」とよばれる栄光に輝き、その思想は西洋哲学・文学・芸術そしてキリスト教神学など広範な分野で不滅の足跡を残しました。

  わたしたちの日本では、明治39年(1906年)に内村鑑三・上田 敏・金子馬治がキェルケゴールの名を初めて日本語文献に記しました。
 そのあと大正4 年(1915年)、和辻哲郎の名著『ゼエレン・キエルケゴオル』が現れます。当時26歳の大学院生・和辻哲郎は、若き日の苦悩と不安を噛みしめながら情熱 をこめて執筆し、「私は殆んど彼のみを讀んだ。私は自分の問題と彼の問題とが極めて近似してゐることを感じた。遂には彼の内に自分の問題のみを見た」、と まで記します。それだけにこの書物から触発され、キェルケゴールに魅了される幾多の若者が続いたとして不思議ではありません。
 そのひとり、大臣を歴任し た父を持つ三土興三は、京都帝国大学文学部哲学科の秀才で、「諦め棄てることを得ぬ(また諦めすててはならぬ)ところのものを諦めすてることを余儀なくさ せられるとき、吾々の魂には如何なるディアレクティクがあらわれるべきであるか」(『酔歌』)と、キェルケゴール『おそれとおののき』の語句をくりかえ し、なぜとも知れず若い命を鉄路に散じました。また、日本の作家でキェルケゴールと最も深く結びついたと言われます椎名麟三は、共産党員として地下活動に 携わり、特高警察に収監され拷問を耐える「重たき流れ」の中で、キェルケゴールと出会っております。あるいは、戦没学徒・池田浩平の遺稿 『運命と摂理』を読みますと、『死にいたる病』が、戦時下の儚い青春を暖めたいのちである事実にふれ、感慨をそそられてなりません。

 西田幾多郎の場合、左翼運動に走った弟子たちから学問の姿勢を問われ、それに対する西田哲学の応答でもあるかのようにして「実践哲学序論」が発表されます。 ここでは、『死にいたる病』が西田哲学の体系に摂取され息づいています。これが『哲学論文集第四』に所収され刊行後まもなく同年12月8日、ハワイ真珠湾 攻撃が生じ、不幸な戦争へと突入いたします。きわめて緊迫した時と場所の中で、キェルケゴールが何かを語っておりました。次代の田辺 元の場合、学徒動員 令の下で教え子たちが戦地へと遣られる現実を前に、何も出来ない自己の無、学問の無力を省み、懺悔してそこから新生へとよみがえる道を模索しつつ「懺悔道 としての哲学」が構想されます。ここでも、キェルケゴールの著作『反復』が、何事かを語っております。

 このように私たち日本人は、遥か なデンマークの国で200年前に生れた一人の詩人的思想家から、何事かを学び、生きる糧となし、それによっていま一度起ちあがり、明日を望んで懸命に生き てきました。それは、新奇の思想を弄ぶとか、自身の栄達を思量して関わる事柄とは、違っていたはずです。


 今日、神なき時代を生きる人間の、神にまで迫る人知の偉大さに驚嘆しますと同時に、自然が破壊され人間が壊れ、底しれず深淵に沈んでいく悲惨におののくばかりです。
このときキェルケゴールは、あらためて私たちに何を語るというのでしょうか―共々に学び、生きていく勇気を、と願います。


2012年3月11日

日本キェルケゴール研究センター
代表理事
橋本 淳
日本キェルケゴール研究センター